Steamで半額セールしていたので、『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』を購入。

フィンチ家に生きた人の死にざまを追体験するアドベンチャーですが、死因を直接的に描いているわけではないので、グロさもほとんど感じないと思います。

ホラーアドベンチャーなんて書き方をしているところもありますが、ホラーではありません。

私はかくれんぼすら苦手な正真正銘のビビりですが、このゲームはかなり楽しんでプレイできました。
雰囲気がかなり不気味で奇妙なんですが、そこさえ乗り越えられればホラーが苦手な人でも楽しめると思います。
怖がりな人はヘッドフォンでプレイしないことをオススメします!屋敷内の物音が恐怖感を掻き立ててくるので、私は音量小さめの心臓に優しいプレイをしていました。

また、公式の日本語説明には

……プレイヤーは一族の血を引くエディスとして、フィンチ家の風変わりな屋敷を舞台に家族の軌跡をたどりながら、なぜ彼女が最後一人の生存者なのか謎を解こうとします。 ……

https://store.steampowered.com/app/501300/What_Remains_of_Edith_Finch/

とありますが、謎解き要素を期待している人には期待外れかも。
脱出ゲームや謎解きゲームのような、何かを推理して操作するといった要素はありません。本当に、ただひたすらに道が示すまま歩き、触り、読む、ということを繰り返していきます。

フィンチ家の死因に残る謎を考察するという「謎解き」要素はありますが、ゲーム内では強制されません。

目次

画面酔いと戦った2時間

このゲームは早ければ1周2時間から3時間程度で終わるゲームです。アクション性もないため、のんびりと映画を1本見る感じ。

しかしこのゲーム、私にとっては鬼門でした。

続きを早く体験したいのに、込みあがってくる吐き気と頭痛。
木の上を飛び乗ったりブランコを漕いだり狭いところを進んだり。

ほんっとうに面白いんですが、画面酔いの度合いがひどかったんです。

一人称視点で主人公の動きに合わせて画面が揺れ、さらに視野も割と狭いので、酔いやすい人は注意が必要かもしれません。
私は30分毎に休憩を入れていましたが、かなりしんどかったです。

それでもプレイしたいと惹きつけられるゲームなのが更に苦しいところ。

導線がしっかりして遊びやすい

こういう3Dゲームでは道に迷うことが度々起こりますが、このゲームは巧みに誘導してくれるため、道に迷うことがかなり少なくなっています。

進んでいるとエディス・フィンチの独白が流れ始めますが、その字幕が順路を示してくれます。

字幕がある方向だったり、字幕が消えていく方向が行く先を示してくれるため、露骨な誘導ではなく、感覚的でよかったです。

妄執にとり憑かれたフィンチ家

フィンチ家の死にざまは妄執によって彩られています。

死因を直接描かず、想像あるいは幻覚を含めて過去を辿るため、「どのように死んだのか」という客観的事実が謎のままに残されます。どれも奇妙な妄想の果てに命を落としているため、死因が明らかな人間は2人ほどしかいません。

どれだけ若くても(最年少は1歳)、とても奇妙で不思議な追想を見ることに。

これがフィンチ家の持つ死にまつわる呪いなのでしょうか。

ここから先、ネタバレあり

この不思議な追想って、本当にあったことなのか、それとも残された遺族が作り上げた幻想なのか、それ自体が謎なんですよね。

そもそも死んだ人には死んだときのことなんか書けるわけがないんです。
また、他人が書いたメッセージや書類から追体験することもあります。

これらはエディスが作り上げた「妄想」なのか、それともフィンチ家特有の何か共感覚的なものなのか。

ほとんどのフィンチ家の人間が名前を表紙に書いた手帳や本を残しており、それが死の間際まで語るのが不気味です。
そしてエディスの母はその記録を故人の寝室と共に封印し、誰にも見せようとはしなかった。

私たちが体験しているのは、もしかしたらエディスの視点ではなく、「エディス・フィンチの残した本」を読んでいる誰かの視点だったのかも。

逆に、この物語は余りにも不幸なフィンチ家の人間に対して、「死する間際だけでも幸福であったことを祈る」手向けの物語的側面があるのかもしれません。あるいは、誰もその人を忘れないようにという自戒か。

子供のころに死を迎えた子供たちの物語には、本人的には幸せそう(幸せとは言い切れない)な体験もありました。

モリー

例えば最初に体験するモリー。彼女の死因は毒性のものを摂取したたために起こったものではないかと考えています。
現実のモリーは夕食を食べずに寝室に入れられたため、どうしてもお腹が空いてしまい、ネズミのエサやヒイラギに似た実、歯磨き粉など体に悪そうなものを次々と口にしています。1940年代の歯磨き粉やネズミのエサなんか、何が入ってるかわかりませんよね……。

いろんなものを食べたあと、妄想の中でモリーはお腹を満たすためにいろんな動物に変身して、小動物を捕食し続けます。
その途中で小動物をのどに詰まらせる描写があり、現実では窒息しかけていたのではないのかと。

最終的に化け物になって人間を食い殺し始め、最終的に「自分が一番おいしい」と気づいて途切れます。毒が自分を食い破り、死を暗喩している感じがゾッとします。

……いやこれ、幸せを願っての手向けとかそういう物語じゃないですよね!家族が自分の死後にこんな手記を綴っていると考えると、逆に不幸になってしまう気さえしてしまいます。

お腹が満たされて終わったことはモリーにとって幸福かもしれませんが、そういう風に帰結させたフィンチ家の人々の歪みが現れている気もします。

妄執にとり憑かれているのは、死んだ人間じゃなくて、生きている人間なのかも。

モリーの追憶は闇が深くて仮説と合っているか合っていないのか微妙ですが、バーバラやカルヴァン、グレゴリーは比較的追悼の意味がありそうです。

バーバラ

バーバラの場合、死んだときのことを漫画として面白おかしく残してあります。殺されるまでを描き、最後は「バーバラの人生で最高の叫び声と観客の満足を得た」という締めくくりに。

実際のところ、ハロウィンに紛れた猟奇殺人者に殺害され、家族には耳しか残されなかったというフィンチ家でも抜きんでて悲惨な死に方をしているバーバラ。

ホラー映画の子役として世間に評価された叫び声が、大人になって劣化し、誰からも必要とされなくなったと悩み続けていた。それでも最期の最期で素晴らしい叫び声を披露したんだよ……というバーバラに対しての慰めでしょうか。

事実を見てしまった弟のウォルターは引きこもりになってしまったことを考えると、相当凄惨な事件だったのでしょう。また、「犯人はバーバラの彼氏ではないが、状況証拠からしょっぴかれた」という風に描かれているあたり、ウォルターの証言は警察には信ぴょう性のないものとして扱われたものの、家族は信じているよ、という表現の現れなのかもしれません。

しかし子役時代のバーバラはかわいい

カルヴァン

ブランコのシーンが印象的なカルヴァン。画面酔い度ナンバーワンでもあります。

彼の死因を探る手掛かりになるのは、双子の弟であるサムが残した手紙です。

ブランコから空を飛び、そして亡くなった兄を、「まっすぐで一度決めたことは曲げず、空を飛ぶことが夢だった」とつづっています。

覚えておく、という行為自体が追悼のようなものですよね。

グレゴリー

わずか1歳にして空へ旅立って行った子です。この子はサムの息子でエディスの母の兄弟です。

この子の死因はきっと溺死でしょう。舞台はお風呂場です。グレゴリーの入浴中、かかってきた電話に母が応対しているところ、何らかの要因でお湯が止まらずそのまま……といったところでしょうか。

かかってきた電話に対しての反応を鑑みると、あまり穏やかな内容ではなさそうです。

そんな中のグレゴリーの死の間際の追体験は、「楽しそう」でしたね。カラフルなお風呂用玩具の蛙やアヒルが飛び交い、最期は海の中を探検する。
最期は幸せに逝けたらいいな、という親の願いが反映されているような気がします。

グレゴリーのベッドの上には離婚届のようなものが置いてあり、追体験中の電話の相手もサムだったことと、その負い目が感じられます。

エディスの兄、ルイスとミルトン

エディスの2人の兄も当然鬼籍に入っています。しかしこの二人については、追悼というよりはあったことをそのまま描き出している印象が強いです。

ミルトンは油絵描きだったのですが、突然失踪。彼の部屋に残されていたのはミルトン作のパラパラ漫画です。
その内容は、魔法の筆で扉を描き、その中へと消えていくというもの。彼が失踪を決めていたことを暗示しているようです。
彼はほかの家族らとは違い、「自分自身の手」で手記の代わりになるものを残しているほか、死の間際に何を見たのかの追体験もありません。ただし、イーディーが描いたミルトンの肖像画は用意されています。

ミルトンは実は生きているから追体験することができないのか、それとも彼が意図的にすべてを隠したかっからなのか、私には判断できません。

ルイスの部屋に残されていたのは、精神病院の医者から送られた手紙。カウンセリングで話していたことなどがつづられています。
彼の死後にすぐ引っ越しという流れなので、肖像画は未完成のままです。エディーの部屋には未完成のルイスの肖像画があったあたり、エディーは死期が近いことを予想していたようですが……。

彼はミルトンの失踪から引きこもりになり、社会復帰の第一歩として鮭の缶詰工場で働くようになりました。
単調な、流れてくる鮭の頭を切り落とすだけの作業。作業の合間に浮かべた空想がルイスを食いつぶしていきます。最初は空想を空想だと認識していたのに、どんどん空想が現実世界を覆い隠していく表現が秀逸。

左上が空想世界・右下が現実

最終的には「現実で鮭の頭を切り落とすみすぼらしい自分」を「空想世界で王女と並ぶ輝かしい自分」が殺す……つまり自殺したのではないでしょうか。

私たちは誰の何を見ているのでしょう。いろいろな形の死を体験していると、だれが何の目的で残した記憶であるのか、この記憶は真なのか、何もかもさっぱりわからなくなってしまいます。

全てはエディスの

「妊娠22週で来るんじゃなかった」との言葉にかなり引っかかりましたが、妊娠中に「最後の生き残り」は不適切ですよね……。それに下を向けばお腹がせり出して見えてるの、ちょっとおかしいと思ってました。17歳なので、全く妊娠という線は考えていませんでしたが!

本当の生き残りはエディスの息子。
エディスの死後、息子がエディス・フィンチの記録を辿っているということなのでしょうか。これが死の間際の追体験だとは思いませんが、何かしら死につながるものではあるのでしょう。

エディスがどのような死を迎えたかは定かではありません。ただ、エディスも死期を悟っていたような節があります。母のドーンが病死だったことから、エディスも病死の可能性がありそう。

とはいえ、病気を患っていたのがイーディーとドーンの長生きした女2人くらいで、他はみな事故死のようなものですから、遺伝的な病気があるのかも不明です。

家系図の中でも、それぞれ兄弟の中で1人ずつしか子孫を残せていないというのも奇妙。子供のころに亡くなるか、引きこもりになるかで、3,4人の兄弟中でも次代ができるのは1人だけ。

そう考えると、エディスの子供は1人だけなので、その子も自分の子供ができるまでは安全に生きられる可能性があります。不幸な家柄であるということを知られながら、途絶えることなく続いてきたことを考えると、「血をつなぐ」ことだけに特化した呪いのようなものがあるのかもしれません。

謎ばかりが残ってすっきりしないため、画面酔いと戦う勇気ができたら、もう一度この作品をプレイしてみようと思います。

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